パパの育児休暇を取るまでを赤裸々に。
第3回。
こんにちは、寒い日が続いていますが、
体調崩されていないでしょうか?
インフルエンザもすごく流行ってますね。
手洗いうがい、癖のない人は大変ですが、
できる限りやっていきたいですね。
今回は、私が育児休暇を取るまでの流れを書き、どのようにすれば取得しやすいかのヒントになればと思います。
私が育児休暇を取得したのは、
2017年の3月〜2018年の3月。
それまでの私はボロボロでした。
システムエンジニアであることもあり、
長時間労働になってしまうことも多々ありますが、
私の場合は、毎日顧客からパワハラもひどく、
先輩から特に引き継ぎも受けられないまま、
着任してしまったので、プロジェクトの知識を入れる時間もままならず、とにかく怒られ続けるという期間でした。
さらにその前は、本番障害300件以上の障害対応プロジェクトとともいうべきプロジェクトに配属され、
最初は単なる一作業員だったのですが、
あらよあれよという間にリーダーになり、
プロジェクトマネジャーになり、
たった数か月の間にどんどんと責任が重くなりました。
諸先輩がたもどんどんいなくなって、
プロジェクトの全責任をおうんだ!と客に言われるまでに。
しかし私がやってた作業を代わりにできる要員もアサインできずに、全て自分でやるという
ことに。。。
今考えても、よくやってたなと思います。
そこからは、数少ない要員で、24時間シフトとか、丸2日勤務とか、ざらでした。
すでにその時、結婚していたのですが、
久しぶりに帰って妻を見たときは、勝手に涙が溢れたこともありました。
妻も寂しかったのか、犬を飼い始めました。笑
今は大切な家族の一員です。
まぁそんなこんなで、とにかく育児休暇を取る前は、まさしく社畜ともいうべき、奴隷ともいうべき日々を過ごしていたのでした。
前任のプロジェクトが終わりを迎えそうになったころ、私は転職を考え始めました。
身も心もズタズタだったからです。
給料低くてもいいから、もっとましな労働環境に。と
しかし、当時の私は、転職活動ができるほど
元気ではありませんでした。もうとにかく辞めたい。それだけでした。
そんな時、妻が妊娠したという知らせを受けたのです。当時あんまり元気がなかったので、
どんな反応を私がしたのかは、覚えていませんが、正直言うと、不安な気持ちが心の中にあったことは事実です。
でも、じゃあ育休を取ろうと言う思考回路にはなりませんでした。育児休暇を取得したら、一応会社に戻ると言うルールがあったからです。
私が最初に言ったのは、
「退職をさせていただきたい」
ということです。
ここがポイントですね。
当然上司は、いやいや、まてまてとなります。
本心かはともかく、会社の人間として止めに入ります。
そして退職事由をつらつら述べた後、
さらには、
「子供が生まれるんです。」という
話をしました。
上司は飛びつくように言いました。
「じゃあ育児休暇取れば?」
私はこの言葉にどれだけ救われたことでしょう。
正直、休暇を取るなら、数ヶ月も一年も変わりません。
思い切って、
「一年いただきたいです。」
といいました。
育児休暇は、最長1年。正確には、子供の誕生
との兼ね合いもあるのですが、その辺りは別の記事で書きたいと思います。
退職されるよりは、いいと判断したのか、
すぐにOKを出してくれました。
給料が心配だと言う方がいるかもしれません。
しかし心配ご無用。
知らない人以外と多いんじゃないかと思いますが、妻と夫両方で給付金が受けられるんですね。
しかも、額面上での給料の50〜67%もらえるんです。
額面上というのは、交通費も含めた金額です。
色々さっぴかれる前の金額ということですね。
残業代ももちろん含まれます。
ですので、私の場合は、普段の給料と変わらないぐらいもらえました。社会保険なども免除になります。
育休を取る前は、何かにつけて残業代を稼ぐと良いでしょう。クソな社員ですが、生活のためですから。
取得してからは、まさに黄金の一年間でした。
その辺りは別の記事で書きたいと思います。
とにかくそんなこんなで、私は育児休暇を取得できたのでした。
ポイントは、
・退職する意思があるということを匂わせる。
(伝える。)
→これは、大きいですが、会社にずっといる意思がある方は、他のやりかたを考えたほうがいいかも。
・取得するのは、仕事の切れ目で。
→当たり前の話ですが、社会人として。
会社としてもOKを言いやすくなります。
・取得前は全力で金を稼ぐ
→育休給付金の額と、取得のしやすさに関わります。あんだけ働いたんだから、という理由にもなります。
以上、今育休を取得しようと思っている方はご参考になればと思います。